以前から気になってはいたのですが、チャレンジする勇気がありませんでした。ですが、今回チャレンジしてみます。リアル話ですが、読んでいただけるだけで嬉しいです。よろしくお願いします。
おじいちゃんはとても、のんびり屋さんで優しかったです。
おじいちゃんは、和牛を繁殖していました。家の敷地内の牛舎に4頭くらい黒い牛が飼育していたのを覚えています。小学生の時に母は、幼い私と一つ年上の姉を連れてよく実家に連れてきていました。幼い時は自分よりも大きく、黒い牛に恐怖を感じていたのを覚えています。ツノも生えていて、目がギョロッと血走っており、口からヨダレを流しこちらを見つめている様が、簡単に蘇ります、怖かったんでしょう!今でも脳に刻まれています。
牛舎から引き運動のため庭に出された際には家の中から出ないように、言われたのを覚えています。大きな牛にビビっていたのを気づいていたのでしょうね。
あるときおじいちゃんちで、衝撃の出来事を目撃したことがありました!
それは、白衣を着た人が牛のお尻に腕を突っ込んでいたのです!
怖かったのですが、目をそらすことができませんでした。
おじいちゃんが、牛の卵をとっているんだよ
と言っていたのを覚えています。今となれば、あながち言ったことは、嘘ではないのでしょうが・・・人工受精用の卵子を採取していたのですよ・・・当時は怖かったです。
おばあちゃんは、リヤカーを引っ張って野菜を売りに行っていました。小学生だった私は、少しだけしか収穫できなかった野菜をそれに載せ、一緒になって売りに歩いたことがあったのを覚えています。
市内のアーケードのお店がない所にリヤカーを止め、自分たちの前に置きおばあちゃんはアーケードの目の前を通る人に、優しく声をかけます。
朝採れたての、野菜ですよ。今夜は野菜炒めにしませんか?
ナスビ ピーマン トマト
三種類の野菜炒め・・・美味しくなさそうです。
すぐに買ってくれる人もいます。自分も、ありがとうございます!と言えれば、嬉しい感情になりますよね。
ですが、世間話だけでさんざん喋っていたのにも関わらず、何も買ってくれない人もいます。
おばあちゃんは、野菜が売れても売れなくても顔色ひとつ変えませんが、私は買ってくれない人を恨めしく思っていました。
おばあちゃんに、なんで売れなくても笑っていられるの?嫌な気持ちにならないの?と聞いたのも覚えています。
おばあちゃんはね、みんなが笑っていて欲しいだけなんだよ!と言っていました。
当時の私には、理解ができなかったです。
笑って欲しい⇒笑われる存在⇒人より下の存在と思っていたんでしょうね。
昔も今もいじめがあります。今のいじめも昔のいじめも下に見られれば、いじめられるという形なんでしょうから、それが理解できなかった原因でしょう。
おばあちゃんとリヤカーで野菜販売の経験することで、ものを売ることの大変さと、お金を稼ぐことの難しさを学びました。
その家の住人はおじいちゃんと、おばあちゃん、おじさんと、おばさん、お兄さんと、お姉さんが住んでおり、中でもおばさんが苦手だったのを覚えています。
おばさんは、そんなおばあちゃんに辛くあたっていたのを幼い私は感じていました。小学校でいじめられていた友人のような言い回しだったのだけ覚えています。今でも母の実家に住んでいますが近寄ることは今はないです。
おじさんは、母の兄です。おじさんはお酒が大好きで、お酒臭かったのが印象的でした。遊びに行くたびにお酒臭くて、お酒を舐めるだけにするかな!と言いながら、ジョッキにお酒を注いでいたのを覚えています。
母にはもうひとり兄がおり、新興宗教の幹部で最近亡くなった・・・と母から報告を受けましたが、葬式にはその家族から来て欲しくないので葬式には行っていないそうです。どんな裏側があるのか気にはなりますが、聞けませんでした。辛いのは母なので。
お兄さんと、お姉さんはあまり関わりがありませんでした。部活が忙しかったんでしょうね。関係は希薄でした。
私が、中学・高校と成長するに従い母の実家に行く機会も少なくなり、高校を卒業し友人と広島へ車で遊びに行っていたときのことです。
友人が言うのです。行きたいところがある!
ソレが JRA 日本中央競馬 でした。
島根・鳥取に場外馬券なんてない時代です。
広島駅前のJRAと表示してあるビルに入ると、フロア内のいたる場所でタバコを吸う人、タバコの吸殻、新聞紙やマークシートがフロアに散乱し、おばさんが必死に掃除している風景。
馬券販売の窓口に並ぶ、こわもてのおじさん。窓口内のおばさんは、前後に二人ずつ居たのを覚えている。
とにかく煙たかったのが印象だ!なんかやばい場所だ!血液がすごい勢いで心臓から体の隅々に送られていくのが分かる!
友人もすごく興奮していた。
ソレが、馬券購入の初体験だった。勝ったか、負けたかなんて覚えていない。でも、すごく興奮したのは覚えている。
普段の自分は、自己主張をせず周りの目を気にする大人しい人間だ。ソレが競馬をする時になるとモニター前で最後の直線では声を出してしまう。
そのまま・・・そのまま・・・とか
差せ!差せ!とか
決して大声ではないが、声が出ている。心の声が出ているのだ。
なぜだろう?
平常運転の自分が解放される瞬間。スーパーサイヤ人に初めて変身した孫悟空のようなザワザワとした気持ちがストンとスイッチのように切り替わって出てきたもうひとりの自分。
スイッチはサラブレッドの走る清々しい緑のターフの最後の直線にはあった。
本当の自分とは?
心の声を出しているのも自分。大人しい自己主張しない私も自分なのだ。
このような哲学的なことは いま の、現在ダウンライトの明かりで浮かび上がるキーを叩いているから静寂な時間にいるから思うのであって、当時の私はそんなことはこれっぽっちも考えてもいなかったはずだ。
友人は、馬券が自宅にいながら買えるように広島銀行の口座とPAT(パット)と呼ばれる馬券を購入できるシステムを導入していた。
自分は友人に自分も馬券を買いたい時はお金を預け、購入してもらっていた。
彼女もいないし、実家暮らしだし、給料のほとんどを遊びに使っていた時代。幼い時におばあちゃんと経験した、お金を得る喜びと苦しさ難しさなど微塵も思い出していなかった。
徐々に競馬にはまっていった・・・万馬券を的中してしまうとその高揚感がたまらなくなり、G1レースがあれば金額をぶち込み、ファンファーレが鳴る時には心臓の鼓動が周りの人にも聞こえているんじゃないか?という具合に興奮をしてしまいます。
もちろん的中するときはありましたが、そうでないときのほうが多いのがギャンブルというものです。
最初はG1レースだけしか馬券を購入していませんでしたが、平場のレースを予想するようになり徐々に投資金額も増えていき、私は借金までしてギャンブルをするようになっていったのです。
負けるときの金額も増えていき、サラ金で借りた借金は50万円を超えてしまい簡単には返済できない金額です。
車のローンもあった私は、一回リセットしないとやっていけなくなり、私は、生命保険を解約することにしサラ金に返済することにしました。
そこでブタ野郎が出てきました。解約返戻金でギャンブルをしたのです・・・
忘れもしない、天皇賞(春)マヤノトップガンが優勝したガチガチの鉄板レースの日。
私がはじめて帯封をゲットした日。
おじいちゃんは亡くなりました。
葬式の日は、おじいちゃんの牛は既にいなく暗い牛舎にフンの匂いしか残っていませんでした。
大好きな、おじいちゃんとおばあちゃんのお墓は、高台に有る田舎の集合墓地にお骨が収められています。
鮮やかな緑色の葉っぱは風でゆらぎ、最近までピンク色の花びらが満開であったとは思えないような木のそばに火葬されたおじいちゃんの骨壷は納められました。
母のお父さんが亡くなって早22年、私にとってはおじいちゃんがいなくなってから22年経ちます。私はいま44歳なので22歳の時に亡くなったということです。
私の血統図では母の父である、おじいちゃん。わたしにも、おじいちゃんから何かしら引き継いでいるDNAがあります。私を形づける情報に感謝してこれからも成長・チャレンジしていきます。
そして2019ドバイワールドカップに出走予定のケイティブレイブ号(母父 サクラローレル)の活躍と無事を祈っています。
#3000文字チャレンジ
楽しかったですが、難しかったです。一番何を結局は伝えたかったのか?
でも、またチャレンジしようと思います。
おじいちゃん、ありがとう。そしてごめんなさい。